依存症の状態とは、健常的な意識に依存症なる部分がくっついている。あるいは健常的な意識の一部、または意識全体がその症状になってしまう、そんな感じだろうか。いずれにせよ多くの人がまず「健常的な意識か脳」を立てて、次に「依存症の症状」を取り込むといった時系列で想像すると思う。
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実態はどちらも違う。そもそも健常的な意識というものは存在しない。それも依存症の症状に過ぎないものだ。
今の意識は人生と共に形成された脳の習性であることを皆が失念している。端的に言えば「私」や「あなた」は「ただの症状」なのである。
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では何の依存か? それが本編でしつこく伝えている「言葉」である。だから言葉を遠ざけることにより依存症、すなわち発達障害は改善に向かう、ということ。
発達障害の考察を深めていくと、このように「依存症は人格として機能する」という認識に帰結する。
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医学的回答がどうなっているかは知らないが、少なくとも社会通念的回答から逸脱していることは私にもわかっている。
依存症の克服経験がある人なら想像しやすいと思う。依存症状に振り回されていた時の自分を振り返れば、「まるで別人のようだった」と誰もがそう主張する。
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宗教や啓発ビジネス、会社の教育の影響を受けた者が、まるで生まれ変わったような感覚に陥るのも同じ理由である。それらは人の意識をその教えの言葉で満たすからだ。
発達障害の改善を通して体験する意識遷移でも、回復域の拡大と共にそれに近い実感を認識することができる。「変わっていく自分」と、言葉の影響で「変えられていた自分」、そしてその2人を認識する渚の存在を。