実家暮らし(洪水2—社会性—低)
図の根拠
上記図は、洪水状態ではあるが若干の社会性を維持している状態を表現した。渚である自分の領域は残したが、洪水の影響で狭くした。
対人トラブルをきっかけに生きていく自信を失って高校中退。その後また立ち直るが、そのどちらも感情の洪水に飲まれていた。その後も飲食店の店舗兼住宅という環境で両親とずっと同じ空間にいるという境遇から推測して、意識は洪水状態だったと思われる。
実家暮らしの注目点
- 就職時点では絶望の状態。せみの幼虫みたいに生きて、大人になったらすぐに死ぬんだろう、と思っていた。それでも小学生からの友達との交流は続いて、夜遊びをしている内にまた頑張ろうと立ち直ることができた。
- 朝は早い時だと朝6時頃から。夜は遅い時は夜22頃まで仕事。定休日に祝日が重なった場合は営業。振替休日はなし。
- 一日中両親と一緒+店内の喧騒と有線音楽+厨房の騒がしさの中にいる境遇。
- 休日や休憩中は人間関係を学び直す為にオンラインゲームに勤しんだ。ずっと言葉が頭の中をぐるぐるしている感じ。
- 煙草はマイセンスパラー(6mg)を1日10本程度。酒はたまにしか飲まなかった。
- お店は借金だらけで、自転車操業で経営していたことを後になってから知った。
- 通常業務は全体の8割ほど覚えられず、どうしても覚えられない仕事は母に任せた。そこに加えて細々としたミスが重なり、親を不機嫌させていた。
- お店の立地が悪く、平日夜の来客数が少なすぎて0組〜3組以下という日が当たり前。私だけが他所にアルバイトをしにいくが、どこでも満足に業務の習得ができなかった。
- 父のパチンコ癖が酷く、レジスターから金を取って打ちにいったり営業時間になっても帰ってこないことが度々あった。
- 母は家の壁に借金残高を書き込むなどいよいよ頭がおかしくなっていたが、私もその様子をすぐにおかしいとは思えなかった。
- 月に何度も夫婦喧嘩があった。それは日常的なことで、罵詈雑言を聞いても特になんとも特別に意識しなくなった。
- 23歳の頃に自転車操業にも限界が来て、親は私に借金を引き継がせるか、自己破産するかの選択を迫られる。その頃に私は発達障害のことを知ったり、父が一家心中未遂をするなどごたごたが起きる。最終的に自己破産をさせる。
解説
仕事とオンラインゲームで、一日中ずっと人の言葉が目と耳から入ってくる境遇だった。目と耳が休まる時間はわずかしかなく、その貴重な時間でさえ頭の中では普通の人として生きていく為のコミュニケーションの取り方や、この先の生き方について考えていた。接客という社会的感覚が求められたので社会性は意識していたが、その境遇からいって洪水状態とするのが妥当だと思う。その自分なりの社会性も、常連のお客さんに馴れ馴れしく話しかけたり、騒がしすぎる客の子供の頭を叩いたり、外見特徴を笑ったりなど、月に1〜2度の頻度で「ありえない接客」をしてしまった。やらかした時点では自覚できないが、後からおかしかったことに気づくことはできた。その度に自己嫌悪に陥った。
◇ ◇
コミュニケーションを学び直そうとオンラインゲームを始めた。ゲームという共通の話題を通して会話の訓練ができた。チャットログをあとで読み返すことで会話の流れや自分の発言を後で振り返ることができた。いざとなったらキャラクターを変えるなどして関係をリセットできた。自分の探究心をひたすら追求する上でとても都合の良い環境だった。
意思疎通の基盤部分の定着ができたのでこの選択は間違いではなかったが、言葉の使用量は増えたし、当時は気付けなかったがこの頃に仲良くなれた人の多くは病んでるタイプの人だった。そのせいもあって、せっかく仲良くなれたまともな人との関係は長続きしなかった。
◇ ◇
20歳を過ぎた頃、平日夜の来客が少なすぎたので、その時間は他所へアルバイトをすることになったが、どこでも仕事は満足に習得できなかった。バイト先の人間関係も悩みの種を増やしてしまった。掛け持ちアルバイトを始めてから実家が閉店するおよそ3年の間にバイトだけで5回転職した。なんとか習得できたのが最後に務めたゲームショップだけで、それまでのコンビニ2軒、ファーストフード2軒では十分に習得できなかった。
◇ ◇
23歳の頃に自己破産の話が浮上。最初は合意の上で私が借金を引き継いで店を存続させる方向で話が進んだが、店主目線で職場を見るように意識した際、母の仕事のやりかたが非効率すぎることに気がついて、以前ニュースで見た発達障害のことを思い出す。ネットで調べた末に家族全員この障害者の可能性があると考え、自己破産路線に切り替えさせた。そのゴタゴタの最中、父が一家心中をしようとする。私が警察に通報して未遂で終わった。
最初から最後までメチャクチャだったが、高校を中退したことでいち早く社会人として求められるスキルと向き合うことができた。
定型発達の場合
下記図は比較用に作成した、同時期における定型発達ケースの海辺モデルである。
時期は高2〜大学卒業の年齢を想定した。社会人生活に適応できる建造物を増やしただけで渚の領域に大きな変化はつけなかった。海の増減はあるだろうが、時間経過でこの形に戻るという考え方である。
建造物が減っているのは日常が整っていることにより、社会性が家やビルの方にまとめられる、という考え方。考え方が偏るという見方もできる。