幼児期(浸水—社会性—未熟)
図の根拠
幼児期。上記図は意識全体が浸水したまま、その上に社会性が築かれていく様子を表した。自分という感覚は全然ない。
流石に自分の記憶に残っている体験はほとんどない。その大半が本考察で使うべきものだとは思えないが、やるしかない。
幼児期〜保育園期の注目点
- 夫婦共働きだった為、母は私をおんぶしたままお店で働いていたらしい。飲食店のBGMや店内の喧騒と共に育ったといえる。他のことはあまり聞いていない。便が多かったとか、なんでもよく食べたとか。
- 保育園期の私は、ハサミで遊んでいて唇の先端を切ったとか、真珠のネックレスをひきちぎって耳に入れて遊んでいたとか、スーパーマンの真似をして階段から飛び降りたとか、病院で治療が必要な怪我を繰り返した。
- 保育園行事のマーチングバンドの指揮者に任命された。太鼓が叩きたかった自分は嫌々やっていた。マーチングバンドという行事のことは理解していなかった。
- いろんな習い事を受けていたらしい。ピアノ、水泳、塾は少し記憶が残っている。夫婦共働きの為、親として教養を教える時間がとれなかったことが複数の習い事をやらせていた理由だと聞いている。
解説
こんな調子で、浸水状態が回復することはなく、その状態の上に社会性が築かれていったと推測する。平均的な教育を受けられたかどうかも怪しいところである。
自分と社会性の境目も曖昧なので、本来は社会性の砂浜部分に形成される建物を海の方に置いてみた。
定型発達の場合
下記図は比較用に作成した、同時期における定型発達ケースの海辺モデルである。
幼児期のやつと同様に浸水状態を「静寂」にし、海の影響範囲を抑え、その上に社会性が築かれている様子を表現した。社会性の芽の大部分を砂浜側に配置ことで定型っぽさを表現した。