仕事がなくなったので転職をする。その転職をするにあたって、「仕事がなくなったこと」が転職の理由なのに手ぶらで面接に挑む、というのは信条に反するので、今回の転職活動は仕事をつくった上で挑むことにしている。
自分の人生で誇れる実績といえば「発達障害の考察」に費やしたこと、それしかない。自分の症状を改善させて症状悪化の予防法まで特定し、生活様式として取り入れている。そこまで実現できた。この考察は自分以外にも必要としている人がいることを他の当事者たちとの関わりを通して知っている。だからネットでも発信している。
この私の考察は今後の社会の展望を見通すこともできる。そこから社会に必要なデバイスとシステムを提案することもできる。
この考えを自己アピール資料として作成する。その体裁として、論文風の内容にしようと思っている。(ガチ論文風と、パワポ風に内容を要約したもの、2種類作る予定)
で、ひとまず論文の作り方から調べている。私の主張は「人文科学」に分類されると思うので、その線で参考になりそうな本を調べて出てきたおすすめの本を買った。これが先週の話。
で、今日から本腰入れて読んでいる。読みながらGoogleスプレッドシートに思ったことや決めたことをメモするスタイル。
私は高校中退で論文なんて読んだことも書いたことないけど、とある精神科医の先生曰く私の発達障害考察本の「心理校閲」は(文体はさておき)、「論文の体裁は揃っている。参考文献がしっかりしていれば論文としても通用する(意訳)」とのことなので、論文を作成する上で基になるものは既に持っていると考える。必要なことは論文の体裁に整形することと、できるだけ参考文献を揃えること。
これを念頭にしながら読み進めたところ、冒頭部分にある記述が目に止まった。
では、論文と作文の区別はどこにあるかといいますと、作文にはなくて、論文には絶対になければいけないものがあります。それは「問い」、クエスチョンマークです。論文は必ず問いから始まらなければいけません。そして、それの答えをこれこれこういう理由だから、こうなんだとはっきり証明するかたちで結論へと導く、これが論文というものです。ですから、問いのない論文というのは存在しない。ということは、問いを立てずに出題しておいて、相手に論文を要求してはいけないということになりますし、また、問いなしで論文を書くということも絶対矛盾となります。
鹿島 茂. 勝つための論文の書き方 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.260-266). 文藝春秋. Kindle 版.
なるほど。たしかに「心理校閲」の内容(というか私の人生が)は、論文の基本条件を満たしていた。
論文は「問い」をまずはっきりすることが大事のようなので、その方針で自分が書きたい論文の流れを整理してみた。
- 私は長年の考察と実践により自身の発達障害症状の改善法と予防法を獲得した。現在も生活様式として日常に取り入れて、安定した営みを維持している。
- 【問い】現代社会の精神障害者と発達障害者の増加傾向から推測するに、これは私だけではなく社会に必要なシステムではないだろうか?
- 発達障害症状の要因の整理(考察と一部参考文献)
- その要因と人類の歴史及び社会との関係(言葉と依存症の歴史 要:参考文献)
- 精神障害と発達障害の実態(症状発症時の境遇を統計的に考察 要」参考文献)
- 言葉の使用量を管理する必要性(考察)
- 文字数カウントデバイスの実装と参考にするモデル(飲酒量の調整とアルコール検知)を
- デバイスにより期待できる効果と今後の展望(効果:精神疾患者や発達障害者の増加傾向の歯止めになる。展望:対策をしなければ今後も当事者は増え続ける)
こんな感じかな?
この「勝つための論文の書き方」という本はまだ冒頭だが、論文に必要な発想と日常生活の意識を結びつけることの意義を主張している。自分の人生と親和性があると思うので、とりあえずこれを最後まで読んでみる。
参考にしたサイト