14年くらい前。初めて小説大賞に応募した時の話。
コミュニケーションの訓練のつもりでずっと文章を書いていた当時の私は、物書きの道で食っていこうと考えていた。小説大賞への応募もその一環だった。
それなのに、ポストに作品を投函した直後から私はなんにも書けなくなってしまった。自分の創作思想は生きている間、湧水のようにずっと途切れないものだと思っていた。ショックだった。
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それまで1〜2万文字程度しか書いたことがなかった私にとって、8万文字強の応募作品は燃え尽きるには十分な文章量だった。たった1行分のストーリーも頭に浮かばなくなってしまった。
そんな心境のまま一次選考発表の雑誌が発売された。下読みすら通過していなかった。なんとなくわかっていた。
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落ちたことには何も感じなかった。それよりも、なにも頭に浮かばなくなったことの方がショックだった。またか、と思った。今までどれだけやる気になっても、何かのきっかけでその気持ちは火が消えたように静まり返ってしまう。
それでも、物書きの道だけは諦めたくないと思った私は空っぽの頭のまま、足掻くことにした。
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私は映画が好きだった。だから映像の世界の方で次に進む為のヒントをつかむことにした。そうして見つけたのがエキストラの仕事だった。アルバイトをしながら掛け持ちでエキストラの仕事を入れた。背景キャラになりながら、現場の人たちの仕事を観察した。
何度目かの仕事で、大作映画のエキストラに参加できることになった。その時の気づきは今も忘れない。
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みぞれ混じりの天候の中、早朝から始まった撮影は深夜まで続き、現場にはさながら被災地のような空気が漂い始めていた。そんな中、撮影の進行が止まった。自分は群衆役の後ろの方にいたが、撮影の段取りで想定外が起きたことは理解できた。役者と撮影スタッフの人たちがずっと話し合いをしていた。
会話の内容はわからなかったが、ああでもない、こうでもない、と話し合いが続いた。やっと再開したかと思ったらまた止まった。やっぱりダメだ、なんか違う、こうしよう、ああしてみよう、そんな顔をしていた。撮影は20分か30分くらい停滞した。
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撮影現場ではよくあることだと思う。でも私はそのシチュエーションから気づきを得ることができた。私は今まで思いついた作品をどんどん書いていたが、思い通りに書けないとすぐにその作品を諦めていた。これは発達障害の症状と向き合った期間の長さのせいだったと思う。自分の思考を引き出し化したことにより、実際に考えなくても、考えた後に自分が至る結論がわかるようになっていた。そういう習性の人間になっていた。
この体験以来、私は「なんとかして完成させること」を目標に作品と向き合うようになった。物書きのプロになれたわけではないが、この時の気づきは今も私の人生を支えている。