有害活動者には被虐待者が多い。虐待を受けた人は通常、虐待をする人になってしまうことがその最たる理由である。その人格遷移は「カリギュラ効果」と当考察にて提唱している「海辺モデル」を知ることで理解できる。
本記事にはその考察を記すが、虐待のみならず精神疾患の考察全般に応用できる内容なので、有害活動問題の視点だけではなく、社会人の必須知識として読んでほしい。
カリギュラ効果とは「このスイッチを押してはいけない」などと言われるとつい押したくなってしまう心理現象のことである。平穏な日常の範囲であれば「人は命令されたり禁じられると逆のことを思う」ということがわかっていればよい。
海辺モデル
人格意識の構成を「海(脳)」「渚(自分)」「社会(社会性)」の3つに分けた解説図。詳細は本編にて。時間がある人は下記リンク「言壁の棺」第4章を読むべし。
カリギュラ効果で識別する「自分/脳/社会性」
あなたは会社員で、上司が私だとする。上司である私はあなたに箱を見せ、「この箱の中にあなたの好きなものが入っている。しかし箱の中を見てはいけない。これは上司命令です」と告げたとする。
まず社会的判断として、「上司命令なのだから箱の中を見てはいけない」ことがわかる。
しかしそれと同時に「中を見てみたい」という脳の衝動が発生する。それは脳の働きによって生成された意識であり、あなたの思想ではない。
「いやいや、箱の中を見たいと思っているのは確かに自分だが?」と思うかもしれないが、脳の衝動の影響により「箱の中を見たいと思った」のであって、あなた自身は箱についてなんとも思っていないのである。
平穏な日常においては自分自身の思想として認識しても特に問題はない。しかし知識としては覚えておいてほしい。これがわからないと、あなたはいつか結んではいけない契約書にサインしてしまう。なぜなら詐欺師は他人の脳の衝動性を増幅させる話術に長けているからだ。
騙された人間の常套句を思い出してほしい。
「なぜあの時、怪しいと気づけなかったのか!」
脳とは「自分」から見れば「他人」に等しい存在なのである。
海辺モデルを用いた人格遷移の説明
ここからが本題だ。さっきの箱の話は一度そう聞いただけなら、その日一日は気になるとしても、人格形成にはなんの影響も起こらない。しかし毎日となれば話は別だ。そのうち箱の話を聞かなくても、あなたは箱の存在が気になり、箱のことを考えるようになってしまうのだ。

上図が最初に話した「海辺モデル」だ。人格意識の構成を「海(脳)」「渚(自分)」「社会(社会性)」の3つに分けたもので、脳の衝動性が発生していない「静寂状態」を表した図である。さっきの上司と箱の話で言うなら、「箱の話を聞いていない状態」である。
渚(自分)は脳と社会性の間にあり、海と社会性の一部ではあるが、どちらでもない。それが脳と自分と社会性の適切な距離感である。

2つ目の図は「箱の命令」を聞いた状態である。「箱の中を見てはいけない」という社会的判断を残しつつも、渚(自分)は海(脳)に飲み込まれたことにより、一時的に「自分は箱の中を見てみたい」と思い込んでいる状態である。
この津波(脳)は時間経過で引いていく。「箱の中を見てみたい」という気持ちもそのうち鎮まっていくだろう。
ではもし津波が引かないまま意識に定着し、自分と社会が浸水してしまったらどうなるか?

その状態を表したものが上図の「浸水状態」である。渚(自分)と社会(社会性)が海(脳)に飲み込まれており、社会性が麻痺している。その浸水している環境に社会性が形成されている。
これが脳の衝動性に意識の主導権が奪われている状態であり、多くの被虐待者が陥っている人格状態である。
このイメージを頭に浮かべながら次の話へ進むべし。
被害者感情は「津波」と思え
虐待を受けると人は以下のようなことを思う。
- もう虐待をやめてほしい
- 虐待をする人を許さない
- 自分は虐待をする人には絶対にならない
- 自分と同じように虐待を受けている人の力になりたい
などなど。
これらの意識は社会通念的には「被害者感情」というやつで丁寧に扱われるものだが、海辺モデルにおいてはただの「津波」である。この感情を意識し続けることは津波が繰り返し押し寄せることと同義であり、やがて自分と社会性を飲み込んでしまい、人格意識の傾向が脳を基準にした性質になる。平たく言うと「喜怒哀楽ばかりの喧しい人」になる。
これに加えて、脳は意識したものとなんでも同化してしまう性質を有しているので、虐待行為を基準とした人格が形成されていく。虐待を拒絶する意識は自分と社会性であって、脳には関係がないのだ。
これは依存症患者が「◯◯をやめたい」と思っていてもやめられないのと同じである。ここで最初に話したカリギュラ効果の解説を思い出してほしい。人は「やめたい」と念じ続けることにより、「やる人」になってしまう。
人は「虐待をしない」と意識し続けることにより、「虐待をする人」になってしまうのだ。
浸水状態の回避/解消方法
こうして形成された脳基準の人格に意識の主導権を奪われているのだが、本人は自分の主人格だと思い込んだまま生きているというわけだ。社会的には人権を有する一人の人間だが、残念ながら、「強すぎる脳の衝動性により社会性が麻痺してしまった犯罪者」や、「カルト宗教により特定の音声を聞かされ続けて信者になった人」と人格のコンディションに大差はない。
この浸水状態に「陥らないようにする/解消する」には、海が引くまで浸水がより増強してしまう要因を避け続けることが要である。酷な話だが、「虐待に関する事柄を一切意識しないこと」が欠かせない条件だと言える。
あと、脳の衝動性を煽るような行為も避けた方がいい。「酒・煙草・ギャンブル・ゲーム」の他、脳にとってはお酒も同然である「言葉」をたくさん使うネットや創作活動なども避けた方がいい。SNSをやりまくったり、虐待体験を漫画や文章に起こすなどの作業は症状を強めてしまうだろう。
ネットで虐待体験を吹聴してフォロワーを集めるなど以ての外である。自分に言葉を集めることで浸水状態をより増強してしまうし、他の境遇が近い人にも悪影響を及ぼすだろう。自分だけではなく他人を巻き込んで、虐待体験の苦しみをより持続させてしまうのだ。
被虐待有害活動者への対処法
有害活動化した被虐待者は、上記の回復条件に反する行為を繰り返していることが推測できる。自分から津波を起こして浸水状態をキープしているのだ。海(脳)のせいで社会性が麻痺しているから、まるで反社のような言動をしていてもおかしくはない。
逆に被虐待者であっても脳の衝動性に主人格を奪われていない人は、上記の条件を避けながら活動していたと推測できる。それは周囲の人ができる対処法にも通ずることだ。
被虐待者の有害活動者を見たら、その人の為にも「相手にしない・言及しない」ことが適切な対処法である。それをやってしまうと浸水状態を増強させる「言葉」を使わせることになり、回復域を遠ざけてしまうからだ。
しかし、虐待エピソードは感情を煽るので企業の営利活動と相性がよく、今後も被虐待有名人が誕生することは避けられない。その人の漫画やエッセイを買ったり、講演会へ参加する時は、この記事のことを思い出してほしい。