私は中2の時のいじめ体験を通して自分の異常性を自覚できたが、それまでは酷かった。その後も酷かったわけだが、自覚の前は言動の自重を全くしていなかったこともあり、歯止めがなかった。
特に「自分を怒る者が全て悪人に思える症状」は面倒だった。
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私も子供の頃は子供らしく戦隊ヒーローが好きだった。幼児の頃はアンパンマンも楽しんで見ていた。アニメで初めて憧れたキャラクターはSDガンダムの騎士ガンダムである。
そんな勧善懲悪な作品を通して子供ながらに善悪と向き合ったわけだが、どうやら私はおかしな理解をしてしまっていた。
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正義に倒される悪者とは、悪いことを考えていて、悪いことをしている。そのように描かれる。これを「悪いこととは悪いことを考えながらやった行い」という風に理解していた。
言い方を変えてみよう。「悪いことを考えながらやった行いが悪いことになる」という思い込みだ。
当時は今ほど言語化できなかったが、私の「悪いこと」に対する理解とはそういうものだった。
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この思い込みが、私がやったことについて注意したり怒ったりしてくる人を悪者だと思わせた。なぜなら私は「悪いこと」を考えていなかったからだ。当時の私に言わせれば、悪いことを考えていない私を注意したり怒ったりするということは、「なんにも悪くない人を悪人として扱う酷い行い」なのだから、その相手に対して「お前こそ悪人だ」と思うことは極自然な感情の帰結だった。
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注意や叱責よりも、単純に「やめなさい!」と言われれば素直に従った。その後で「相手が嫌がっていたことがわかる会話」があれば、自分のやった行いが悪いことだったと思うことができた。それでも混乱は残った。やったことが悪い行いだったことさえわかればそれでいいわけだが、当時の私はそこから「では、やっていた最中の思考のどこからどこまでが悪かったのか」を考えたからだ。怒られたり注意を受けても、そんな会話はしないから、一人で考えるしかなかった。それは悩みとなり、自己嫌悪するばかりだった。
結局、「悪い行為」と「悪い考え」が別物であることは、中2のいじめ体験の時まで理解できないままだった。
この誤認知、発達障害者には多いと思う。