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ブログ開始日 2021年12月31日

当ブログの考察は当事者の体験に基づく内容です。ご了承の上でお読みください。

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言壁の棺 — 発達障害考察ブログ

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昔話34:「今日」がわからなくて日記が書けなかった話。



 小4の時だったと思う。全学年か、うちのクラスだけだったのかは知らないが、毎日日記を書いて先生に提出していた。一時の間だけだった気もするが、そのへんの細かいことは忘れた。少なくとも宿題という扱いではなかったと思う。

   ◇ ◇

 小4の時の担任は記憶違いでなければ小3の頃に転任してやってきた。小3の時の担任が生徒への(恐らく)暴力で(恐らく)懲戒免職になり、新しく私のクラスの担任になったのだ。

 この先生は元保育士だったのか、何者だったなのかはわからないが子供を楽しませながらまとめることが抜群に上手かった。当時の私でさえ他の先生との違いを感じていた。6年間を通して先生に怒られてばかりだった私でさえ、小4の頃に限っては嫌な思い出が全くない。先生がつくったクラスの雰囲気のおかげか、怒られるようなことをあまりしなかったからだ。

   ◇ ◇

 話を戻す。私は先生に提出する日記が嫌いではなかった。むしろいつも何を書こうか楽しんで取り組んでいた。でも書くことに苦労していた。書きたいことはあるのに何をどう書けばいいのかわからなかったからだ。

 友達と遊んだことを書こうにも、なにをどこからどう書けばいいのかわからない。その記憶の映像はどれだけでも頭に思い浮かぶのに、文章への変換がさっぱりできなかった。

   ◇ ◇

 当時は言語化できなかったが、あの頃の私の混乱の原因は「今日」という線引きがわからなかったからだ。昨日のことや一昨日のこと、ずっと前のことや、まだ体験していない明日以降のことも、私にとっては「今日の日記に書く範囲」だった。

 これに気がついたのは高校中退後に家業の飲食店に就職した後、自分を分析する為に日記を書いている時だった。

 あの頃の自分の精神状態も決してよくはなかったが、「今日の自分を書く」というルールを自分の意志で決めたことで、特別な思考術なしに日にち感覚のピントを合わせられたのだと思う。そんな気がする。