ある日の授業中、私は考えた。自分はどうして勉強ができないのか、と。みんなと同じように授業を受けて、ノートもとって、先生の話も聞いている。家に帰ってから寝るまでの間に1〜2時間は勉強の時間もとっている。でもテストの点数は平均点がいいところ。
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その気づきのきっかけは、なんだっかのかはわからない。記憶が正しいなら、きっかけもなにもなくて、その授業中の最中にふと気がついたのだ。
私は、教科書の文章が読めていない。
まさか、と思いつつ文書の頭から右に向かって目を走らせる。それが、生まれて初めて自分の識字感覚を意識した時だった。やってみると、頭の中で言葉が線香花火のように飛び回っていることがわかった。たった今読んだはずの文章なのに、何を読んだのかがもうわからない。それは今だけのことではなくて、ずっとそうだったことも感覚的に理解できた。
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これが中1の二学期半ばのことだった。
私は自分が勉強できない理由を見つけた気がして、嬉しいやら悲しいやら、複雑な気持ちになった。でもこれを何かの病だとは思わなかった。プラスに受け止めたわけではない。「これは普通ではない」という発想に至らなかった。
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それからしばらくの間、自分にとって勉強とはなんだったのかを考えた。考えたといっても、この頃の私は記憶を振り返るくらいしかできなかったが、それでも「先生の話は聞いている、だけ」「黒板は丸写ししている、だけ」と、それまで勉強だと思っていた行動に疑問を持つことができた。