小1〜2の間だっと思う。その頃によく遊んだHくんというクラスメイトがいたのだが、私はその子のことをずっと様付けで読んでいた。山田太郎が名前だとすると「たろうさま」とずっと呼んでいたのだ。
この「様」は接客的なニュアンスにおける「様」ではなく、「神様」とか「王様」といった絶対的な存在を呼ぶ時のニュアンスだ。私は友達に対してそういう気持ちで接していた。
そう呼ぶようになったきっかけはよく覚えていない。少なくとも保育園児だった頃は友達をそんな風に呼んだ覚えはない。
◇ ◇
思いつく理由はいくつかあるが、まず当時の親が信仰していた創価学会の影響説。この信者は日常的に仏壇に向かって経文を唱えるのだが、その仏壇にかかっている巻物のことを「ご本尊様」と言っていた。だから大事な存在を「様付け」で呼ぶ感覚が身についていたのかもしれない
◇ ◇
2つ目は当時みていたアニメの影響だった説。なんのアニメかは忘れたがジャイアン的存在の親分のことを子分が「様付け」で呼んでいたアニメがあり、そのアニメが好きで口真似をしていたかもしれない。当時の私にとってはアニメが人生の教材だったので、友達との接し方の基本として覚えてしまったのかもしれない。
◇ ◇
3つ目は、これが最も可能性が高いのだが、「とにかく怒られたくない説」である。何かと怒れる日常だったから、怒られない方法を考えた私は「自分は何も悪いことをしない存在である」と思ってもらえれば怒られる対象から外れる、という発想に至った。その術が「自分を低い位の人に思ってもらうこと」で、友達を様付けで呼ぶ、というのが手っ取り早い方法だった。薄らとだが、そんなことを考えていた記憶が残っている。
◇ ◇
様付けをやめたきっかけも特になかった。いつの間にか他の子らと同じように君付けとかあだ名で呼ぶようになった。