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ブログ開始日 2021年12月31日

当ブログの考察は当事者の体験に基づく内容です。ご了承の上でお読みください。

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言壁の棺 — 発達障害考察ブログ

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昔話15:ブランコで遊んでいる子に隣のブランコをぶつけた話



 小学生の頃、ブランコを漕いで遊んでいる友達の弟くんに、隣のブランコをぶつけたことがある。ブランコは鉄製である。弟くんは「うぎゃー!」と叫んで大泣きした。その後、ブランコを降りて片足を庇いながら公園から出ていった。

   ◇ ◇

 その「ブランコ揺らし」を最初にやったのは少なくとも私ではない。小1か小2の時だったと思う。公園で遊んでいる時に子供が集まれば、年齢も学年も学校も関係なくいつの間にか一緒に遊んでいた年頃の時だ。

 誰かがブランコで遊んでいた時、誰かが隣の空いているブランコをその漕いでいる方に向かって揺らしたのだ。「うわぁw」「あぶねぇw」とか言って、スリリングな状況を皆で楽しんだ。私たちの遊びに「スリル」が加わった瞬間だった。

 その時はたしか当たらなかったと思う。

   ◇ ◇

 それから何度かそのブランコ揺らしをやった。誰かが揺らした時に不運にもその時漕いでいた子の足に命中した。その子は「いっだー!」と言いながらブランコを降りて、ケンケンしながらブランコのエリアから離れた。そして血が出る足を手で抑えた。笑った子もいればちょっとマジになって心配した子もいた。記憶違いでなければ最終的には笑い話になったと思う。転んで怪我なんて日常的なことだったから。

   ◇ ◇

 ブランコ揺らしは流行りはしなかったが、たまに誰かがやるようになった。そのうちに誰かがやると「やめよ」「やめろ」と言い出す声が増えていった。私もやめろと言われた一人だった。注意されたことで、ゾワゾワ、ウゾウゾした感触が全身に広がった。たぶんその感情は「不安」だったと思う。

   ◇ ◇

 私は怒られたり注意されることがとにかく嫌だった。共働きだった両親とのコミュニケーションは家族同士の雑談よりも圧倒的に叱り注意や多かった。テレビを見ながら「これ買って!」とか友達と遊んだことを話す機会もあまりなかった。

 そんな境遇の中で私が四六時中気にしていたことは「親が今も怒っているかどうか」だった。怒っているのか怒っていないのかがわからない心境はストレスでしかなかった。

 私の心の中には、親が怒っていないことを確かめたい気持ちがいつもどこかに潜んでいた。

   ◇ ◇

 その解消方法として私がよくやった行動が、「前回怒られたことをまたやる」というものだった。怒られたくないと思ってばかりの私は、「怒られた記憶」すらもなかったことにしたかった。「あの時怒られたけど、実は怒られたんじゃなかった」ということにしたかった。

 だから注意されたり怒られたことを時間が経ってからまたやった。怒られないことを確かめる為だった。一度それで親が笑ったとかで、うまく行った時があったんだと思う。

   ◇ ◇

 当然だが基本は怒られる。でも2回目、3回目となると怒り方の温度も下がってくる。当時の私はその反応の変化を「やっぱり怒られたんじゃなかった」と認識した。そして「怒られていない日常」を得ることができた。

 友達の弟くんにブランコをぶつけたのもその心理が背景にあった。ブランコ揺らしで誰かが怒られて、自分も注意された。私はその不安をただ解消したかった。