小2の頃の話。学校の休み時間にクラスメイトと喋っていると、私はどういうわけか「嘘や」「嘘つき」と言われることが多かった。数ヶ月くらいだったか、結構長い期間そう言われていた気がする。
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私が談笑で話題にすることはほとんどがテレビで見た内容だった。だから嘘つき呼ばわりされる理由がよくわからなかった。テレビは嘘をつかないはずだ、ということではなく、テレビが言っていた話なのに、自分が嘘つき呼ばわりされることの意味がわからなかったのである。
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仮に私の話した情報が間違いで、嘘と言われても仕方ないことだったとしても、そう指差されるのは情報源であるテレビの方のはずだ。何度か「(自分で考えたことじゃなくて)テレビで見た話だよ」と補足をしたけど、それで相手の意見が変わったことは一度もなかった。嘘つき呼ばわりされるのはいつも自分だった。
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最初の頃は、作り話じゃないという意味で「ほんとやわ」とよく言い返していたが、そのうち嘘つき呼ばわりされること自体が嫌になった。その嫌な気持ちを回避しようとして、私はテレビで見たことを人に話さなくなった。談笑の話題はクラスの誰かが話していたことを言うようになった。
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話題の傾向が他の子と同じになったことで、確かに嘘つき呼ばわりされることはなくなった。しかしこれをきっかけに私は注意されたり怒られたりすると、自分で考えてどうにかする前に他の子の真似をするようになってしまった。
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その思考回路は「楽しい」と「正しい」を誤認させることになった。周りが笑ったり褒めたりする場面を見た時は、自分も同じことをやろうとした。そうしていれば怒られる心配がない。当時はこの文章のようにはっきりと言葉で言い表せるほどの自覚はなかったが、自分が安全圏にいられる気がしたのだと思う。
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小5の時に図工で製作したものがよくないと先生に注意をされたことがあり、それ以降、図工でつくるものは当事仲良しだった友達の制作物の真似をした。
何度目かの制作の時に先生から「どうして◯◯くんと同じなの?」と聞かれたことがある。なんて返事をしたか忘れてしまったが、そもそも友達の真似をするようになったこの経緯を私自身が忘れていたので、なにも答えられなかったと思う。記憶違いでなければ、先生はその会話の最後に「あんたら仲良いねぇ」と言っただけだった。
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真似をすることで注意されたり怒られたりする頻度は減ったが(それでも多かったが)、逆に自分が注意や叱責を受けた時は酷く混乱した。なぜなら真似の元になった子は怒られていないからだ。そうなった時、私は真似元と同じじゃないところを頭の中で必死に探した。もちろん発見はなかった。
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このまねまね思考は中学生に上がると同時にパッと消えた。「真似はもうやめよう」と意識して消したわけではない。入学式の校長先生の話に感銘を受け、「中学生になったんだからこれからは真面目になろう!」と心に誓った時、当時の私が考える真面目な生徒がどこからともなく脳にインストールされて、それに伴って自動消去されたのである。
こうして、小学生の頃に経験して学習するはずだったことを、真似に費やした為にその機会を失ってしまったのだった。