言壁の棺

Calm or fact. Choose either.

幕間7:中学の時、卓球部に入部してすぐやめたくなった話

 小3か小4の時に、友達に誘われて近所の市民体育館で卓球をした。時間と料金はうろ覚えだが、たしか30分50円とかで卓球台が使えた。テレビゲームで遊んでばかりだった私には刺激の強すぎる遊びで、小5と小6の放課後のクラブはその友達と一緒に卓球クラブに入ったほど虜になった。

 卓球クラブの生徒数は40〜50人ほどいたと思うが、そこで私と友達は「学校で一番強い二人組」とまで言われるほど卓球が得意になった。

   ◇ ◇

 その友達とは別々の中学校へ進学することになった。「中学校へ行っても卓球やろうぜ」と約束した。それなのに私はパソコン部を選んだ。パソコン部ではツクールシリーズのパソコンソフトを使うことができた。私はゲームが作りたかった。とても作りたかった。別の友達の家にはPC-98RPGツクールのパソコンソフトがあって、遊びに行った時はよくやらせてもらった。友達がつくった「勇者が町や城の人を問い詰めて全員殺すゲーム」は最高に面白かった。

 私はまともに1本作ったことはなかったが、創作意欲が尽きることはなく、その衝動は大学ノートに鉛筆で漫画を描くことで消化した。

 卓球部に入る約束のことは覚えていたけど、自分から言った約束ではなかったこともあり、あまり抵抗はなかった。

   ◇ ◇

 それから数ヶ月後、たしか中1の二学期半ばだったと思う。町でばったり卓球の友達と会った。「お前、大会で探したぞ。なんでおらんのや」と言われた。当時の自分はクラスメイトから嫌われていたこともあり、そんな自分なんかを気にしてくれていたことが純粋に嬉しかった。同時に、申し訳なく思った。

 私はあまり元気のない言い方で「ごめんね。ゲームが作りたかった」とか、そんな覇気のない回答をしたと記憶している。友達は別の理由があって入る部活を変えたと知り、苛立ちを鎮めたようだったけど、とてもがっかりした様子だった。

   ◇ ◇

 その出来事がきっかけで、私はまた卓球がやりたくなった。卓球をやればまた元気になれるかも、と思った。

 そんなもやもやを抱えていた最中、パソコン部の顧問が「冬のマラソン大会に備えてパソコン部も体力をつける為に走る」と言い出した。なんとパソコン部は週に何度か、部活動の時間に校舎の外周を走ることになったのだ。しかも制服のままで、掛け声をしながら走るのだ。想像してほしい。今はどうか知らないが、当時パソコンといえばまだ一般家庭に普及していなかった時代。その使い方を習うだなんで、教科で言えば英語や保健くらい遠い存在だった。パソコン部に入る奴は運動を嫌がる根性無しと思われるのが普通で、実際そんな奴らばかりだった。アニオタや陰キャばかり、見た目も相応だ。そんなヒョロヒョロ、ドスドスとした集団が制服のまま掛け声をあげながら学校の外周を走る光景だ。

 とても恥ずかしかった。クラスではただでさえ浮いていたのに、更に茶化される要因が増えてしまった。それがたまらなく嫌だった。転部したい、という気持ちが一気にピークに達した。

   ◇ ◇

 その月の間だったと思うが、先生に相談して部活をかえてもらった。私の中学には転部というシステムがなかったようで、最初は何事かという感じで受け取られた。走るのが嫌だ恥ずかしい、という心境は話さなかった。小学校の頃に交わした約束の話を中心に心変わりがあったという事情で話を進めた。それ自体は事実だから。

 そして晴れて卓球部員になれたのだが、私は一ヶ月と経たずに辞めたくなってしまった。

 その理由はクイズにしたいと思う。答えを考えてから続きを読んでほしい。

 私は運動部というものを全く分かっていなかった。運動部とは、練習することが基本なのだ。

 小学校の放課後クラブでも、市民体育館で友達と卓球をやっていた時も、好き勝手に打って、好きな時に休んで、その中で自分のやり方を追及していった。所詮はお遊びで実際はスキルなんて身についていなかったのだろうけど、いつも充実感があった。それが継続する意欲になっていた。

 それが中学の卓球部では、筋トレ、素振り、ラリー、試合と、好き勝手に打てる時間が全然なかった。休憩するタイミングも決められていた。打ち方がおかしかったり、言うとおりにできないと怒られた。

(それが運動部の普通である事をやっと理解したのは中3になってからだった。それまでは「今日もフリー打ちがなかった」とただ思うばかりだった)

 

 あと、先輩たちからいじられたり茶化されるのも嫌だった。クラスの教室では静かにしていればなにもされなかったけど、部活では何もしていなくても先輩のおもちゃにされた。ここでもいじめられる、と思った。

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 そして私は弱かった。誰と戦っても負けた。小学校の頃は最強二人組でも、ただ好き勝手打ってきただけなのだから当然だ。

 好き勝手に打てないことへの困惑と苛立ち、ストレスは強かった。でも負けると単純に悔しかった。私は強くなろうとして、市民体育館で行われている地元の卓球クラブに入部した。たしか卓球の友達に誘われたんだと思う。彼はそのクラブでエースだった。

 それもたしか三ヶ月くらいで辞めてしまった。きっかけは球を拾わなかった生徒に注意をしたことだ。されたんじゃない、私が注意した側だ。それも「球を拾わないやつは強くなれないぞ」みたいな言い方で、言った時は気づかなったんだけど、後から自分はすごく偉そうなことを言ってしまったと自己嫌悪に陥った。同時に色んな不安と不満が強くなった。

 そのクラブは球を自動で打ち出してくれる卓球マシンがあるなど、設備も整っていたんだけど、プレイは交代制で、順番はすぐに回ってきたけど打ちっぱなしができなかった。部員数も多く、一人一人にアドバイスがあるわけではなかった。どちらかといえば放任で、その分好き勝手に打つことはできたけど、自分が強くなっているかどうかはわからなかった。今思えば、自分で研究できるくらいセンスのある人が通うところだったと思う。あの頃の自分にはできない頭の使い方だった。

   ◇ ◇

 その自己嫌悪の一件と不満と不安のことがぐじゃぐちゃに重なって、クラブに行きたくなくなってしまった。今なら発達障害の衝動性の波の仕業とわかるが、当時はそんなことわからなかったし、やりつくした感も高まって、卓球に対する熱が冷めてしまった。

 それから中学校の部活も何かと理由をつけてさぼるようになってしまった。なんだかんだで卒業まで席は置いてたまに顔を出していたけど、迷惑な部員だったと思う。

 その後の大会で卓球の友達と会うこともあったけど、対戦相手としては見られていないことはなんとなくわかった。その後の自分は「普通の人になること」を目標にして生きていたので、卓球との縁について悩むことはなかった。

 

 ちなみにその卓球の友達は全日本ベストで戦うほどのプレイヤーになった。今も卓球で食っていると思う。