言壁の棺

Calm or fact. Choose either.

幕間1:ご本尊様に祈ればなんでも治ると思っていた話

 小学生の頃、道徳の授業の一環で学校に招かれた視覚障害者のお年寄りの話を聞く機会があった。たしか五年生の時だ。目が見えないことの苦労や、人生の喜びの話を体育館で聞かされたと思う。

 後日、そのおばあちゃんに生徒からお手紙を送るという授業があり、生徒一人ひとりが作文用紙に言葉を綴った。

 私は「ご本尊様に祈れば治るんだ」といったことを繰り返し書いた(と記憶している)。

 私の両親は当時、熱心な創価学会の信者だった。子供だった私はなんにも知らないまま、親の言われるがまま信仰活動に加わっていた。

 この〝ご本尊様〟とはその宗教の信仰対象のことを言い、創価学会的には無妙法蓮華経の文字曼荼羅のことなのだが、当時の私はそんなこと知らず、大昔に「ごほんぞん」という偉い人がいて、キリスト教のイエスキリストくらい偉い人のことだと思っていた。

 手紙を提出した後、先生に呼び出しをくらって私は怒られた。どう怒られたかは覚えていないが、強めの口調で「こんなことを書いた手紙を送ったらおばあちゃんは悲しんじゃうよ」といったことを注意する口調で言われたのを覚えている。私は「はい」とか「ごめんなさい」とかそんな返事しかできなかった。

 元々人から怒られている時は頭の中が大嵐状態になってフリーズしてしまう質なのだが、この時の私は具体的に混乱していた。親からは日常的に事あるごとに「ご本尊様の前で言いなさい」「ご本尊様に謝りなさい」「ご本尊様の前で祈れば治る」と言われて育ってきた。「病気になったらご本尊様」と思うくらいには当たり前のことで、そう思わなければ「心がない人=悪い考え方の人」と理解していた。

 その日常と思考が学校の先生から怒られたのだ。

 先生の言葉の圧から、どうやら自分は悪いことをしたらしいことは理解できたが、ご本尊さまのことについて、何のどこが怒られているのかはわからなかった。自分の経験の中に怒られる理由だと認識できる情報は全くなかった。

 何も悪いことをしていないのに嫌な思いをした。そんな感情だけが残った。

   ◇ ◇

 大人になって自分が障害と向き合うようになってから、この体験を振り返ったことがあった。

 いきなり自分の目が見えなくなったとしたら、すぐに治したいと思うかもしれない。でも、ずっと目が見えないまま生きてきた人にとっては、目が見えることが幸せになるとは限らない。単純な答え方だけど、当時の自分がわかっていなかったことは理解できた。

 発達障害も同じだと思う。仮に症状を治せる薬が開発されたとしても、それが万人の幸せになるとは限らないのだ。